公益社団法人呉青年会議所 WEBサイト

JCで一皮むけた経験book

一皮剥けた経験

「個」の視点しかなかった三戸初人が、「公」の視点を持った三戸初人になる

三戸初人 先輩

JCには、1989年に入会した。当時、28歳だった。この年、呉JCは、「海と島の博覧会」、「ワールドトライアスロンin広島」、それに「呉みなと祭」といった三つの大きなイベントの運営を、呉市から一手に任されていた。こういった一大事業は、行政がやるものだと勝手に思い込んでいたので、「こんなことを任されるJCって、一体何なんだろうか」と思った。JCに対する世間の信用の大きさに驚くと同時に、それに伴う責任の重大さを実感した。いきなり凄いレベルの団体に放り込まれたという印象だった。
2000年、広島ブロック会員大会が呉で開催され、自分は、その実行委員長をさせていただいた。こういった大きな事業は、全メンバーの力を結集しないとできない。自分一人の力は無力だ。しかし、「こうやってくれ」と指示的な言い方をしても、中々、耳を傾けてもらえない。「お前がやれ」と言われるのが関の山だ。JCは、互いに利害関係のない者同士で成り立つ組織なので、指示命令だけでは人は動いてくれないのだ。そのため、「徳」で人を引っ張っていくことが求められる。ここがJCの難しいところであり、また勉強になるところでもあった。
自分の場合、まず「思い」を伝えた。その上で、とにかく一度任せるようにした。そして任せたメンバーのやり方を極力取り入れるようにし、何か壁にぶつかったとき、そこで初めて「こういう風にしてみてはどうか」と言うようにした。すると、聴く耳を持ってもらえた。この事業を通じて、多くの人に力を貸してもらいながら事をなす方法を、学ばせてもらったように思う。
こういった経験をすると、度胸がつく。以前、業界団体(広島県トラック協会)の広島県大会の運営を任されたことがあったが、JCでブロック会員大会という一大事業の実行委員長を経験していたので、全く怯むことがなかった。
JCで最も問われたことは、趣旨・目的を明確にすることだった。「ちょっとやってみたかったんです」というようなことでは通らない。そこには、呉のまちのためという「公」の視点が必ず求められていた。おそらく、自分がJCに入って最も変化した点は、「個」の視点しかなかった三戸初人が、「公」の視点を持った三戸初人になったことではないかと思う。
PTAや子ども会などの会合に出ると、自分の子どものことばかり言う人がいる。それに対して、JC育ちの人は、「公」の視点で発言をする。やはり、人は「個」の利害ばかりを主張する人よりも、「公」のことを考えている人の話に耳を傾ける。そのため、PTAや子ども会などで、リーダー役を任されるようになっていった。また、それに伴い、呉市の諮問会議や審議会などにも出させていただく機会が増えていった。そういった場でも、物怖じせずに発言する姿が行政の方の目に留まり、そこでまた新たな役を要請されるようになった。
考えてみると、現役時代のJCというのは、模擬組織のようなものなのかもしれない。40歳まではJCで勉強し、卒業してから、リアルな組織で地域社会に貢献をしていく。そう考えると、「現役時代の間にこのまちを変えるんだ」と肩に力を入れ過ぎなくてもいいのかもしれない。卒業してからがむしろ本番だろう。
JCに入ってよかったことの一つとして、人脈が広がったことが挙げられる。通常は、学生時代の友人や同業者、仕事仲間くらいのものだ。しかもJCは、他の多くの団体組織に比べて仲間同士の絆が深い。さらに、同じ時代に在籍していなくても、先輩から「お前、JCにいたのか」の一言で可愛がってもらえる。JCに入っていなかったら、決して近づくことさえできなかったであろう大先輩とも、いきなり話ができる。これらは、JCのいいところだと思う。
JCを卒業して「世の中」に出てからは、JCで実践していたことを応用すれば、まず間違いはない。自分の経験では、何らかの団体組織を立ち上げたとき、あるいはリーダー役を受けたとき、JCで学んだ組織運営の方法を取り入れることで、スムーズに事が運ぶ。JCの有用性は、卒業してから想像以上に実感すると思う。そのためにも、現役時代に一所懸命やっておかなくてはいけない。
次のインタビューは、入会同期で、JCに熱かった小倉裕之君に繋ごう。

Page Top