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JCで一皮むけた経験book

一皮剥けた経験

組織の中での物事の通し方を学ぶ

友木嘉宣 先輩

JCには、1998年に入会した。当時、34歳だった。自分が入会する前は、会社の先輩でもある山根正さんがJCに入っていた。その山根さんが卒業されたのと入れ替わりに、入会させていただくことになった。入会に際しては、これといった説明もなく、わけも分からないまま、いきなり放り込まれたような状態だった。
同期は当初八人いた。たまたま、自分が最年長者だったため、同期会の会長をさせてもらうことになった。最初は、お互い慎重に間合いをはかっていたが、10月の仮入会員担当例会に向けて、次第に結束が深まっていった。自分は、同期会の会長という立場上、担当例会のプレッシャーが大きく、今さらながら、JCを辞められるものなら辞めてもいいという気持ちもあった。しかし、会長として同期のメンバーをまとめて、担当例会を成功させないといけないという責任があったので、そうも言っていられなかった。最終的には、仮入会員の結束の成果を担当例会で示すことができ、一応の責任を果たせたと思う。
2003年には、委員長をさせてもらった。しかし、もともとは、自分としては委員長の役をさせてもらうつもりはなかった。というのも、他の多くのJCメンバーと異なり、自分はサラリーマンだったので、仕事との両立が困難と考えていたからである。
そんな中、室長(予定者)の清水秀起君、副理事長(予定者)の古本修一さん、専務理事(予定者)の髙塩光延君から「委員長をしてもらえないか」と次々に打診があった。髙塩君からの電話は、会社の事務所で受けた。その際「やはりできない」と断りを入れていたところ、たまたま一連のやりとりを自分の上司が聞いていた。電話の受話器を置くと、その上司から「そこまで言ってもらえるのであれば、やってみてはどうか。仕事の方はサポートするから」と言われた。
さらにその日の晩、副理事長(予定者)の金原一次さんから電話があった。当時、金原さんとは、ほとんど面識がなく、まともに話をしたことがない間柄だった。その金原さんが、JCの魅力などについて二時間以上に亘りコンコンと話をしてくれた。そして、「受けてくれた際は、全力でサポートするから」と言ってくれた。金原さんの説得は、携帯電話の電池が切れる寸前まで続いた。最終的には、上司の応援と、金原さんの熱意ある説得に折れ、委員長の役を受けさせていただくことにした。
委員長をさせてもらったことで、JCの見方が変わった。それまで、幹事を一回、副委員長を二回ほどさせてもらっていたが、上程議案一つとってみても、それがどういうプロセスで作成され、どのようにしてメンバーの手元に行き渡るのかがよく分かっていなかった。資料を見る側から作る側に回ったことで、JCの仕組みがよく理解できた。
翌2004年は、JC生活における最後の年で、広報渉外系の委員会に委員として配属された。委員長は、若い浜村友嗣君だった。彼には随分と厳しいことも言ったが、自分が経験してきたことを若い人たちに伝えたかった。前年に理事を経験させてもらったことで、そういう気持ちになったのかもしれない。理事を経験する前にも、一度、委員をさせてもらったことがあったが、そのときは、各種会議で何がもめているのか、また、なぜそれがもめているのかがよく理解できていなかった。それが、理事経験を経て、その辺りのことがよく見えるようになり、委員会スタッフに色々と意見を言えるようになった。
今では、長時間に亘って口説いてくれた金原さんや、背中を押してくれた会社の上司に、本当に感謝している。会社とJCは、組織としての活動目的は異なるが、組織であるという点では同じである。組織の中での物事の通し方や組織の動かし方、そこでのお金の使い方など、本質は変わらないと思う。その意味でもいい勉強をさせてもらった。またJCに入って本当にネットワークが広がった。自分は一介のサラリーマンであるが、そんな自分が、地元の若い経営者と、対等な仲間としての関係を築くことができた。これは自分にとって財産になっている。
次のインタビューは、同い年の廣光重次君に繋ごう。彼は、自分が副委員長をさせてもらったときの委員長だ。

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