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JCで一皮むけた経験book

一皮剥けた経験

足を使って行動すると、事が展開し始める

小松慎一 先輩

1986年、会員交流委員会の幹事をさせてもらった。当時、28歳だった。例会などで人を楽しませる企画を立てるのは、比較的得意としており、一年を通して楽しむことができた。但し、一度、大きな失敗をしてしまったことがある。
12月にクリスマス会を行う予定があり、そこで、自分が司会をすることになっていたにもかかわらず、その日、スキーに行ってしまった。と言うのも、夜のクリスマス会には間に合うだろうと思っていたからだ。ところが、帰りの道中、渋滞に巻き込まれ、クリスマス会に間に合わなくなってしまった。自分としては、迷惑をかけたと思いつつも、あまり事を重大視していなかった。「司会なんて、他の誰かが代わってやってくれるに違いない。ただのクリスマス会ではないか」と思っていたからだ。
しかし、クリスマス会が終了した頃、いざ到着してみると、委員長の田頭典明さんにぶん殴られそうになった。大きな声で血相を変えて怒られ、怖かった。それと同時に、「なぜそこまで言われないといけないのか」と反発する気持ちもあり、当分の間、納得できなかった。
数日後、田頭さんに飲みに誘われた。そこで、どれほど自分のことを大事なスタッフと思っていたのかを熱く語ってくださった。それを聞いて、それまで抱いていた反発心が消えた。このとき、どんな小さな役でも与えられた責任をきちっと果たすことの大切さを実感した。
入会以来、週末の事業への参加に消極的だったせいか、社会開発系の委員会スタッフの役を頼まれることは、まるでなかった。但し、人を楽しませる企画力はそれなりに買われており、87年も会員交流委員会の副委員長をさせてもらうことになった。
そんな自分に一つの大きな転機が訪れたのが、翌88年だった。その年、社会開発系のイベント推進委員会の副委員長をさせてもらった。具体的には、呉みなと祭で事業を行う委員会だった。あの当時、イベント推進委員会で副委員長をした人は、翌年、委員長をし、以降も同ラインの室長、副理事長になっていくという不文律があった。呉みなと祭を年々バージョンアップしていきたいという意図が込められていたようだった。この年、室長をされた田中育実さんや、委員長をされた河野節夫さんも、そのレールの上を歩いてこられた方だった。そのため、副委員長の役を要請されたときも、「一年限りの話ではなく、その先もあるという覚悟を持って考えてもらわないと困る」と言われた。正直、そんな先のことまで、腹をくくることができず、どうしたものかと悩んだ。
そこで背中を押してくれたのが、田中さんだった。「もし不安だったら、君が委員長をする年は、俺が委員として君の委員会に入ってやる。そこでちゃんとフォローしてあげるから」と言ってくださった。ここまで自分のことを押してくれる人がいるのかと感動し、覚悟を決めることができた。実際のところは、田中さんは、翌年度、自分の委員会ではなく、指導力開発委員会の委員になられ、「あのときの話は何だったのだろうか」というオチもついたのだが、自分としては、それも田中さんのご愛嬌として受け止めている。
それまで自分が携わっていた会員交流委員会というのは、言わば企画が全てだった。そのため、頭で考えることが一にも二にも大事だった。また、対象についても、メンバーやその家族とあらかじめ決まっていた。ところが、社会開発系の委員会は、対象が不特定多数である。しかも、企画をし、告知をしても、それで人が集まるわけではなかった。人が集まらないことには、社会開発系の事業は話にもならなかった。要するに、頭で考え、企画を立て、その告知をするという単純な流れでは、成功はおぼつかないというようなところがあった。会員交流畑を歩んできた自分としては、ここで大きな壁にぶつかった。
そんな中、室長の田中さんや、委員長の河野さんに言われたのが、「足を使え」だった。一緒にあちこち回り、JCの名刺を出せば、意外と会ってもらえるものだと思った。例えば、自衛隊に行って、事業概要を話す。興味を持ってもらえると、企画段階から一緒に入ってもらう。すると、企画から携わっているため、当日は、多くの自衛隊関係者の方にも参加していただける。企画そのものも厚みを増す。こんな動きを精力的に行うことで、社会開発系の事業は成功するのだと実感した。会員交流畑を歩んでいた頃は、頭の中で考えるだけで自己完結していたのが、そこで完結させることなく、足を使って、行動してみるようになった。これは、自分にとって、かなり大きな変化だった。
97年には、副理事長をさせてもらった。山本浩さんが理事長をされた年である。担当ラインの委員会に、アートフロンティア委員会という委員会があった。「百花斎放」というテーマで、ストリート芸術祭を蔵本通の周辺で約一週間行った。委員長は、後藤真理さんだった。彼女は、具体的にどう事業を展開していけばよいのか、悩んでいたが、自分にアドバイスできることは、自分自身が過去の経験を通して学んだことしかなかった。それは、「足を使え」だった。
そこで、彼女を連れて、広島県立現代美術館に飛び込みで行った。すると、学芸員の方から、ある先生を紹介された。その先生から、「アートにも色々あるんだ」と言われ、当日の事業に繋がる多くのヒントをいただいた。また、その先生を紹介してくれた学芸員の方は、若手のアーティストを育成されていた。その中から、4人のアーティストを集めてくださり、事業の手伝いをしてもらえることになった。足を使うことで、可能性が大きく広がり、事が大きく展開し始める。それを改めて実感できた。JCに入っていなかったら、このような気付きは得ていなかっただろう。

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