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JCで一皮むけた経験book

一皮剥けた経験

相手の話に耳を傾け、相手の理を考える

廣光重次 先輩

JCには、1997年、33歳になる年に入会した。この年は、仮入会員も委員会に配属され、自分は、右も左も分からない中、アートフロンティア委員会に所属することになった。委員長は後藤真理さんだった。「百花斎放」というテーマで、ストリート芸術祭を、約一週間、蔵本通り周辺で行った。もともと、祭りの類は好きだったが、参加者の視点しか持ち合わせていなかった。ところが、この事業に携わったことで、作り手の視点を得た。そこで、プロセスに関わることの面白さに気付き、これをきっかけにJCが好きになった。今、振り返ってみても、自分のJC生活で強烈に印象に残る事業だったと思う。
99年には、二年続けてとなる幹事の役をさせてもらった。「心の共育委員会」という委員会で、委員長は柏原一成さんだった。一言で言うと、いかにしてJCに対して前向きになってもらうかを考えるのがこの委員会のミッションだった。比較的、身近なテーマであり、スタッフ会議でも意見が言いやすく、面白かった。前年に、一度目の幹事をさせてもらったときは、委員会の資料を作成をするだけで、それ以上のことはしなかった。それがこの年には、委員会メンバーの話を積極的に聞くようになり、彼らとの距離がぐっと縮まった。幹事という役は、うまくやれば、委員会を動かしやすくする面白い役だと思うようになった。
2001年には、会員意識向上委員会の委員長をさせてもらった。理事となると、時間的な面での負荷が非常に大きく、睡眠を削り、家族との時間も減らし、何とか時間を捻出していた。その一方、任すことができる仕事は極力任せるようにした。この効果は意外と大きかった。このとき、それまで仕事をする上で、人に任せようとせず、何から何まで自分でやろうとしていたことに気付いた。
2002年には、事務局長をさせてもらった。この年、初めて、JC全体のことを考えるようになった。それまでは、自分が所属する委員会の視点しか持っていなかったのだ。事務局長というのは、特定の委員会に属さないので、思考のフリーハンドがあり、公平に見ることができた。言わば、JCを外から見るような感覚だ。以降、大局的な物の見方ができるようになった。
2004年には、室長をさせてもらった。この年は、自分にとってJC生活最後の年だった。室長という役は、自分で議案を作ることができない。議案を作るのはあくまで委員長である。その一方、室長の上には副理事長がいる。そのため、間に挟まれた極めて中途半端な立場に思えた。もちろん、委員会の考えと正副の意向を繋ぎ合わせるのが自分の役割だと分かってはいたが、「言うは易し、行うは難し」だった。実際、最初の頃は、室長としての自分の立ち位置を見つけるのに苦労した。
色々考えた挙句、副理事長と異常なまでに時間をかけて、話をすることにした。自分が大丈夫だと言うことを、副理事長にも大丈夫だと言ってもらえるようになるまで、徹底して話し込んだ。それができるようになると、当初感じていた「中途半端」な印象は消えて、最終的には、面白い一年になった。
JCに入っていなかったら、自分はただの頑固親父になっていたかもしれない。もともと、自分は唯我独尊とでも言うべきか、人の話を聞くふりをして、実際には全く聴いていないというようなところがあった。それが、JCでの8年間を経て、相手の話に耳を傾け、「この人の理は一体どこにあるのだろうか」と考えるようになった。そして、理屈が通っていれば、「そういう考えもあるな」と思えるようになった。その結果、何でも面白がってできるようになったと思う。
次のインタビューは、同い年で、卒業年度に理事長をされた銭村彰太郎さんに繋ごう。

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