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JCで一皮むけた経験book

一皮剥けた経験

熱意が人を動かす

梶岡幹生 先輩

1976年、指導力開発委員会の委員長をさせてもらった。当時、30歳だった。ある日、理事長の石井昌之さんから、岐阜の各務原で開催される二泊三日の研修に行くように言われた。各務原JCの初代・第二代理事長で、この年、日本JCの教育問題委員会の委員長をされていた松原忠康さんが講師をされる研修会だった。その頃の自分は、毎日、現場仕事で、午前六時から午後九時まで働き尽くめだった。そのため、岐阜での二泊三日の研修など、仕事への差し支えが大きく、正直、行きたくなかった。ところが、石井さんが「理事長命令だ」と言われるので、内容の薄い研修だったら半日で切り上げて帰らせてもらうことを条件に、仕方なく行った。
研修会場では最前列に座った。というのも、もう自分はすっかり半日で帰るつもりでいたので、後ろに座ってコソコソと退室するのでは、具合が悪いと思ったからだ。ところが、半日で帰るという目論みは、研修が始まって十分も経たないうちに消えた。講師の松原さんに、あっという間に魅了されたのだ。松原さんとの出会いは、その後の自分の生き方を変えた。最も尊敬する方の一人である。研修の教材は、N.ヒルの「成功哲学」だった。米国での成功者数百人にインタビューをし、そこから共通する要素を抽出しようとした本である。この本は、その後、真っ黒になるまで読んだ。読むごとに、毎回違った気付きがあったからだ。
松原さんの指導は熱かった。こういった研修を15年間位、続けられたと聞いている。呉JCからは、全員で15人ほど、松原さんの指導を受けに岐阜に行き、自分はその二人目で、計5~6回は行った。岐阜で行われたもの以外も含めると、10回程度、松原さんの指導を受けた。呉にも3回ほど来ていただいたことがある。
松原さんから学んだことは、一言で言うと、計画と実行の重要性である。「ダメな人間でも成功できる。それにはどうすれば良いのか。単純なことである。計画を立て、それを実行することだ」と松原さんは言う。研修で松原さんに「あなたは十年後、何をしたいんだ」と聞かれた。当時30歳だった自分は、十年後に何をしたいかなど考えてもいなかった。もちろん、漠然と思うことはあったが、松原さんは、「そんなレベルではダメだ。具体的な数字を入れて、具体的な形にして考えなさい」と言われた。十年後に何をやりたいかが詳細に決まれば、来年やるべきことは自ずと決まるということを松原さんから学んだ。「JCというところは、役に立つことを学べるところなんだ」と実感した。その頃の自分は、地下足袋を履いて現場に出ており、JCがあるときは、いつも財布の底を気にしながら、メンバーと付き合っていた。しかし、勉強に対する投資は一切惜しまないようになった。
持論ではあるが、学ぶ機会に欠ける組織は、いつかなくなると思う。自分は、JCで松原さんから学ぶ機会をいただいた。そのことへの感謝の気持ちから、社員に対しても、学ぶ機会を提供しようと考えた。この頃から、最低でも月に一回は講師を招くなどして、社内で勉強会をするようになった。今ではするのが当たり前になっている。何らかの分野で日本一という方は、かれこれ40人余り、この勉強会に来ていただいた。
松原さんとの出会いを通じて、「熱意が人の心を動かす」ことも学んだ。83年に理事長をさせてもらったとき、牛尾治朗さんに講演会の講師として呉に来ていただこうと思い、東京への出張のタイミングに合わせて、牛尾さんの会社を訪ねた。すると、秘書の方から「牛尾は、年に4回しか県外の講演には行かない方針です。今年は既にその4回の行き先が決まっています」と断られた。しかし、それで諦めることなく、4、5回は、講演のお願いをしに会社を訪ねた。すると、ある日、スイスから絵葉書が届いた。差出人は、牛尾さんご本人だった。絵葉書には、「呉で講演をしてくださいと秘書に言われました。この度の件、了解しました」と書かれてあった。熱意が伝われば、必ず来てもらえる。そう実感した。
他にも、年間40億円の赤字に苦しんでいたフォルクスワーゲン・アウディ日本をたった一年で黒字転換させた社長である佐藤満さんや、世界一のギター会社の社長である横井祐一郎さんにも、紹介なしの飛び込み訪問を繰り返すなどして、数時間もの間、話を聞かせてもらったこともあった。このように、それまで面識のない人に会って話しを聞かせていただいたり、呉まで講演に来ていただくといったことは、今や自分の特技になっている。その源泉は熱意である。松原さんとの出会いを通じて、「熱意が人の心を動かす」ことを学んだのだ。
松原さんとの出会いがなければ、自分の人生はもっと違ったものになっていたと思う。松原さんとの交流は、その後もずっと続いた。息子さんが中華料理の店を出されると聞き、お祝いかたがた、食事に行ったこともある。残念ながら、松原さんは、2006年に亡くなられた。しかし、著書を通じて、今でも松原さんからの学びは続いている。
次のインタビューは、●●●●●●さんに繋ごう。79年に自分が専務理事をさせてもらった年に、彼が仮入会員として入会してきた。出席が必須だった会合に彼が「出られない」と言うので、「出られないなら入会するな」と一喝したことがある。それに対し、「ああ、辞めてやる」と彼は言った。JCでの彼との付き合いは、そこから始まった。今ではとても仲がよく、尊敬する友人である。

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