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JCで一皮むけた経験book

一皮剥けた経験

覚悟を決めた瞬間、力が出る

河内康浩 先輩

1997年、JCに入会した。当時、32歳だった。この年、父が急死したため、以降、5年間は、仕事に注力し、JCに関しては、例会と最低限出席が必要な委員会に参加するのみだった。その間、幹事を一回、副委員長を二回ほどさせてもらったが、本当に最低限のことしかしていなかった。
その後、仕事の方も落ち着きを見せ始めたため、2003年に輝く心創造委員会の委員長をさせてもらった。まちづくり系の委員会で、「One Heart」というミュージカル事業を行った。色々と物議をかもした事業だった。委員長とはいっても、多くの委員会メンバーを預かる身であり、また、事業を行うための資金もメンバーの皆が拠出したものである。決して、自分がやりたいようにやれるわけではなかった。上程した議案に対しても、批判的な意見が多かったため、皆の理解を得ようと、色々と形を変えもした。皆が納得できる形にしようとしたのだ。
しかし、あるとき、「こうやって、どんどん形を変えていって、自分は委員長として責任がとれるのだろうか。やはり自分が責任をとれる形のものをしよう」と思った。もちろん、責任をとれる形と自分がやりたい形というのは同じではない。自分がやりたいことが、必ずしも正しいとは限らないからだ。だから、皆の意見は謙虚に聞かないといけない。しかし、その結果、単なる意見の寄せ集めにしてしまっては、それはもはや自分のものではない。それでは、委員長としての責任がとれない。皆の意見に耳を傾けながら、最後は自分が責任をとれる形のものをしようと思った。覚悟を決めた瞬間だった。今、振り返ってみると、そのときから、力が出始めたように思う。周囲のメンバーにも、自分が腹をくくった様子が伝わったようで、そういう目で見てもらえるようになった。
リーダーとは、人の上に立つ人間であるとよく言われるが、それは自分の感覚にはあまり馴染まない。自分が考えるリーダーとは、人の上に立つ人間でなく、人の先頭に立って歩く人間である。そのためには、リーダー自身が覚悟を決める必要があるだろう。JCで委員長を経験すると、覚悟を決める場面は、大なり小なりあり、それを体感できる意義は小さくないと思う。
One Heart事業に関しては、卒業した今でも有志で続けている。JCで行った年も含めると、今年(2007年)でもう5回目になる。2回目と3回目のときは、「続けて欲しい」という参加者の声に押されて、やったようなところがあった。このとき、形としては行えたが、資金面での課題も残り、決して成功したとは思っていなかった。4回目のときは、正直どうしようかと悩んだ。続けることが皆の負担になっているのであれば、やめてもいいと思っていた。しかし、一回目のときからの盟友である海生知亮君が「河内さん、やりましょう。少しはいいこともしましょうよ。毎年、子供たちの姿を見るのもいいじゃないですか」と言ってくれた。引き続き、負担をかけてしまうことに心苦しさを感じつつも、その言葉が嬉しくもあった。「やろう」。再び覚悟を決めた瞬間だった。
四年目以降の One Heart事業は、参加者の声よりも、むしろ企画・運営で実際に汗を流してくれる仲間の声によって支えられている。一年で「もう金輪際、真っ平ご免だ」と思われるような事業ではなく、その当時の仲間から、かくも熱く支えてもらえるような事業ができたことを幸せに感じている。
2005年には、副理事長をさせてもらった。副理事長という役は、実行責任者である委員長とは、異質の難しさがあった。「自分のイメージは、正確に委員長に伝わっているだろうか。自分のイメージと委員会の歩調はちゃんと合っているだろうか」といった確認に苦労した。また、どこまで手を出していいのかも悩んだ。委員長が右往左往している間は、手を差し伸べようと思ったが、手を出し過ぎると、委員長にとって、もはや自分の事業ではなくなる。そうなると、委員長として、覚悟を決めるのが難しくなる。その辺りのジレンマが大きかった。
それが、ある時期、委員長の寺下正博君も兼田秀一君も覚悟を決めたように思えた。それを感じてからは、全力で彼らをバックアップすることに専念した。自分としても、それしかできなかった。やはり、その人なりに覚悟を決める瞬間というのがある。それを見逃さず、その後のサポートを全力でしてあげるべきだ。この年、それを学んだ。
次のインタビューは、友木嘉宣君に繋ごう。One Heart事業が物議をかもしているとき、彼は精神的な支えになってくれた。男気のあるすばらしい人間だ。

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