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JCで一皮むけた経験book

一皮剥けた経験

まず認めてあげることが大事

神垣伸司 先輩

入会二年目の1993年、経営者開発委員会の幹事をさせてもらった。当時、31歳だった。仮入会員だった年は、用意された場に出るだけだったので、そこに至るまでの舞台裏の様子が分かっていなかった。しかし、幹事をさせてもらい、舞台裏の一員になったことで、「これほどまでに一所懸命にJC活動をしているメンバーがいるのか」と驚いた。幹事という役柄上、委員会メンバーに電話をすることが多かったが、携帯電話がまだなかった時代なので、仕事で外を回っているときは、公衆電話からかけていた。いつの間にか、「公衆電話マップ」が頭の中に出来上がった。
正直、「なんでこんなことをしないといけないのだろうか」と疑問に思うこともあった。しかし、「神垣君、いつもありがとうね。ご苦労さま」とか、「わざわざ公衆電話からかけてくれているんだね」と言ってくれるメンバーもいた。そんな一言があると、「自分のことを気にかけてくれているんだ」と思えて、素直に嬉しかった。以来、自分がどんな立場になっても、「ありがとう」の一言がきちんと言える人間になろうと思った。
95年、まちづくり推進委員会の委員長をさせてもらった。この年、阪神大震災があり、呉JCからも有志のメンバーでボランティア活動をしに現地へ行った。自分もその遠征チームに加わった。現地は壮絶だった。行政もコミュニティも何も機能していない現場を目の当たりにし、「やはりボランティア活動は必要なんだ」と実感した。おそらく、現地へ行ったメンバーは、皆、それを皮膚感覚で感じ取ったのではないかと思う。
その二年後には、ロシア船籍のナホトカ号の重油流出事故があった。このときも、阪神大震災のときとほぼ同じ顔ぶれのメンバーでボランティア活動に行った。こういった体験が土台になって、その後、呉災害ボランティアセンターが立ち上がった。これは、呉で水害や台風災害などが発生した際のボランティア活動の受け皿になった。
97年は、ネットワーク室の室長をさせてもらった。この年、担当ラインにアジアネットワーク委員会という委員会があった。委員長は土井保君だった。土井君は、予定者の段階から、自分も知らないうちに台湾の高雄へ一人で行っていた。それほどフットワークが軽く、自身の構想をどんどん推し進めていくような男だった。普通は、叩かれないと目を覚まさないような委員長が多いが、土井君の場合は、全く逆で、叩かれなくても自分から前に進んでいくタイプだった。
ところが、その歩みがあまりにも速かったため、正副の困惑を招き、「そんなのダメだ」といった否定的な反応に繋がってしまったように思う。また、土井君と委員会メンバーとの温度差も大きく、一人浮いているような状態だった。その結果、彼がやろうとしていたことは頓挫してしまった。彼のモチベーションは一気に下がり、「退会する」と言い出した。委員長という立場を考えて、年度の途中での退会だけは、何とか思い留まらせたが、結局、その年の12月末を持って、彼はJCを退会してしまった。
自分にとって、何とも苦い経験となった。彼を退会に追い込んでしまったことが、まず何よりもの失敗だった。担当室長としては、彼の「熱」が過度に上昇するのを抑制しながら、正副や委員会メンバーの「熱」を引き上げて行くように、立ち回らないといけなかった。それができなかったことが大きな悔いとなった。この経験を経て、トップが示している方向性とまるで正反対でない限り、基本的にはやらせてあげるべきだと思うようになった。否定的に構えるのではなく、まず認めてあげることが大事だろう。
2001年には、副理事長をさせてもらった。理事長は、金清和人君だった。金清君から「副理事長をやってもらえないか」と頼まれたとき、次のように言った。「分かった。やらせていただこう。ただ一つお願いがある。理事長が示した方向性を踏まえて、各委員長が具体案を出してくる。それが、基本的な方向性と著しくずれていない限り、やらせてあげるというスタンスでやってもらえないか」。金清君は「もちろんだ」と答えた。
この年は、自分の担当ラインで子どもの教育問題をとりあげた。また翌年は、委員として配属された委員会で、子どもたちと直に触れ合う機会に恵まれた。この二年間のことがきっかけになって、横断歩道の前で子どもが立っていると、必ず停車できるようになった。子どもたちに目が向くようになり、時には手も振ってあげられるようになった。停車することで、気持ちに余裕が生まれ、優しい人間になれたような気がした。
それが出来るようになったからと言って、人生がどうなったというような話ではない。しかし、それもできないような人生も寂しい。昨年度まで小学校のPTA会長をさせてもらっていたが、これも元をたどれば、JC時代のそんなささやかな変化が起点になっていた。また、今でも、ひとたび災害が起きれば、ボランティアとして被災地へ行く。これも、JCでその必要性を実感したからだ。JCが自分に与えた影響は大きい。

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