JCで一皮むけた経験

山村貞夫 先輩  ~チャンスを与えれば人は育つ~

 入会2年目の1990年、呉JCから日本JCの総括幹事が輩出された。自分はその人について、一委員として日本JCに出向させてもらうことになった。当時33歳だった。ところが、その人は5月のASPAC(JCIアジア太平洋地域会議)を境に、どういうわけか全く来なくなってしまった。自分は、一委員でしかなかったが、同じ呉JCのメンバーということもあって、「不在」となった総括幹事の代行役をいつのまにかやる羽目になった。

 

 とは言うものの、この委員会は、褒賞、ASPAC、世界会議、総務の四領域を担当しており、入会2年目で右も左も分からない自分が総括幹事の代行役を務めるのは、容易ならざることだった。褒賞に関しては、全国の各LOMに申請を促す窓口役もした。当初は、全くと言っていいほどわけも分からなかったが、先方(全国各LOMの専務理事)にそんな事情が通用するはずもなく、とにかく分からないなりに手探りで懸命に取り組んだ。その甲斐あって、全国に友達が増え、これまでにないネットワークが築けた。

 

 総括幹事の「脱落」という予期せぬ危機に直面して、委員会としても一致団結した感があった。また、その年の最後には、年間最優秀委員にも選ばれ、大きな自信にも繋がった。今、振り返ってみると、あの1年間で日本JCの国際系のことがほとんど理解できたように思う。予想外の事態に直面し、逆境に身を置くことになっても、一所懸命に頑張れば何とかなるという確信を得た年でもあった。

 

 その2年後には、LOMで国際交流委員会の委員長をさせてもらった。「海外で交流会事業がしたい」と言い、アジアミッションと称してタイと香港へ行った。訪問先では、シスターJCでもないのに無償の歓迎を受け、タイでは、歴代会頭会議にも招かれた程の歓待ぶりだった。日本JCに出向させてもらっていたときにできた縁が、こうした歓待に繋がったのだと思う。その縁のありがたさに感謝すると共に、逆の立場になったときは、どこの国からどんなJCメンバーが来ようとも、自分たちがしてもらった以上のおもてなしをしたいと痛切に感じた。

 

 この事業を通じて、JCの寛容さに気付いた。海外での交流会事業など、理事長であれば「そんなのはダメだ」と軽く一蹴できるのに、「何とかやらせてみよう」と前向きに考えてもらえた。「チャンスを与えれば人は育つ」と言われるが、自分もチャンスをもらったからこそ、人との縁のありがたさや、おもてなしの心の大切さに腹の底から気付くことができた。

 

 現在、当社には、社会保険労務士や中小企業診断士の資格を持った社員が何人かいる。それは、社員に「資格取得」というチャレンジの場を積極的に与えてきたからだ。資格をとらせることで、本人が会社を辞めてからもそれが生きる糧になる。少しでも困らないようにしてやりたい。会社に貢献しているという実感も得られるだろう。頑張って資格をとったときの達成感は、その社員の幸せにも繋がる。もちろん会社の力にもなる。「チャンスを与えれば人は育つ」。こんな発想は、JCの寛容な土壌に身を置いていなかったら、全く生まれていなかったと思う。
 

 

 次のインタビューは、JCを卒業してからも子ども会やPTAなどで大活躍している三戸初人君に繋ごう。